田中ウルヴェ 京氏インタビュー銅メダル獲得後にも試練が…トップアスリートに学ぶ「自分を知り自分の人生を選ぶ生き方」

メンタルトレーニングのエキスパートであり、近年では国際オリンピック委員会(IOC)マーケティング委員/認定アスリートキャリアトレーナーとしても精力的に活動している田中ウルヴェ京氏。鋭い視点と気さくな人柄で人気のコメンテーターとしてご存知の方も多いでしょう。
元はシンクロナイズドスイミング選手として1988年ソウルオリンピックで銅メダルを獲得し、米国の大学院に留学、日・米・仏の代表コーチを務めるなど、輝かしい経歴を持ちながら、「35歳まで常に怒りと落ち込み、被害妄想の中にいた」と振り返ります。そんな田中氏が長いトンネルを抜け出し、「こんな自分でもいい」と今の自分を肯定するに至るまでの経緯について伺いました。

田中ウルヴェ 京氏

【1】原動力は「褒められたい」「認められたい」という思い

田中さんのキャリアのスタートである、シンクロとの出会いについて聞かせて下さい。

田中ウルヴェ 京氏6歳の時から通っていたスイミングスクールで、3歳上の姉がシンクロを始めて、「私も私も!」と無理に入れてもらったのがきっかけです。7歳で小学生の全国大会予選に出るなど泳ぎは得意でしたが、姉達と同じことをしたかったんですね。ソロでやらせてもらい、プール全体を丸ごと使って踊るように泳ぐのが本当に楽しかったことを覚えています。
それが10歳で、12歳の時には東京シンクロクラブに入り、週6日練習するようになりました。ただ、もうその頃には、あまりに練習が厳しくて、「今年こそ辞めよう」と毎年思っていました。

シンクロ選手時代の田中ウルヴェ 京氏

なんと、いきなりですか?それでも続けられて史上最年少の15歳で日本代表チームに選出されています。

田中ウルヴェ 京氏そう、乗りやすい性格といいますか(笑)、周りの大人に褒められると頑張るし、結果が出ると自信がつくし、試合に勝つとやっぱり嬉しいんですよね。そして負けると「次こそは!」と思う。でも練習は苦しいし楽しくないし、学校の成績は落ちるし、常に憂鬱でした。
それが15歳でシニア日本代表チームに選出されて、19歳で日本ソロチャンピオンになって。自分が21歳で迎えることになるソウルオリンピックに出場しメダルを取る、ということは常に目標にしていたので、少しずつ覚悟を持っていったのだと思います。

オリンピックに出場して実際にメダルを獲得するためには、単に試合に勝ちたいとか、周りの人に褒められたいという欲求だけでは、モチベーションが維持できない気がします。他にモチベーションを上げる動機となるものがあったのでしょうか?

田中ウルヴェ 京氏モチベーションに関する理論の中で、人が何かをやり遂げるためには、様々なモチベーションの種類を多様に変遷させていくことが大事であることが分かっています。私自身も当時は気づいていなかったですが、様々な種類のモチベーションを変化させていったのだということを、のちに心理学を学んだ時に気づきました。
水泳が好き、勝つのが好き、ということだけでなく、何かができるようになるまでの知的好奇心や、できた時の自己効力感…。モチベーションの種類は様々です。

ストレスすら、やる気につながることもありますよね。例えば、他者からの評価、特に「自分が評価されていない」というストレスは、選手時代、常に私のモチベーションに直結していました。
もともと目立ちたがりで負けず嫌いな上に、更にパートナーでありライバルでもある小谷実可子さんの存在が大きな刺激になりました。同い年の彼女とは小さい時から一緒の試合に出ていましたが、高校生の時から、同じ海外試合に行って空港に戻ってきても、テレビで扱われるのはミカちゃんだけ(笑)。世の中はなぜこんなに外見の差で評価を変えるのかと、怒っていましたが、本当は羨ましくてしょうがなかったのです。
自分が日本選手権のソロで優勝しても、翌朝の新聞には「田中優勝」ではなく「小谷負けた」の大きな見出し。掲載されている写真も私ではなかった。
今となっては本当に自分でバカだなぁって思いますけど、当時は悔しく、そして悲しかったです。でもそういったネガティブな感情である怒り、悔しさや落ち込みは、当時の大きなモチベーションになっていました。

更に88年のソウルオリンピック最終選考会では、両耳の鼓膜に穴があいて中耳炎が悪化し、途中で4位に落ちたことで「番狂わせ」と言われ、苦しみながら演技を続けたこともあります。
なんとかオリンピック枠の3位に入賞したものの、実際に出場できるのは2人だけ。しかも本番の前々日まで出場するのは誰なのかが知らされないのです。
次々と押し寄せる精神的なプレッシャーに対しては、ひたすら自分と向き合って、自分と対話し続けるしかなく、乗り越えようと必死でした。

田中ウルヴェ 京氏

そんな過酷な競争を乗り越えてオリンピックの代表となり、檜舞台では銅メダルを獲得しています。

田中ウルヴェ 京氏自分にとって、あのデュエット決勝は、パートナーとの同調性を全身で感じながら、頭では冷静という不思議な感覚がありました。最高の演技で終えることができ、結果として銅メダルが獲れたことにも満足しています。何よりギリギリまで精神的に追い詰められながらも、自分の演技に集中できたことも嬉しかった。だから当時は「完全燃焼」と表現していたと思います。
しかし、実は最近になって「オリンピック後、あと1年でいいから引退する前にソロをやっておきたかった」という心残りがあったことを口にできるようになりました。当時はソロどころか、デュエットにも出られるかも分からない状況で、「ソロをもう一度やりたい」と思うこともおこがましいと思っていたのです。理想と現実の乖離があり過ぎて恥ずかしかったこともあります。

【2】「メダルを獲った自分」のセルフイメージに支配されて

念願のメダルを獲得し、ソロへの未練を内側に秘めながらもオリンピック直後に引退を決められました。

田中ウルヴェ 京氏なんかスマートに引退した方がいいのかなって。自分が本当に望んでることはなんだ?という自己対話より、どういう行動をしていると他人は正しいと思うのか?という基準だったんですよね。
しかし、現役を引退してから35歳くらいまで、どこかずっと苦しい状態が続いていました。ソロをもう一度やりたかったという思いが残っていたのかもしれません。
また、どんなに大変な思いをしてメダルを獲っても、ちやほやしていただくのは1年が関の山。オリンピック後に大学を卒業して、ミズノに就職すると同時に、日本代表のコーチに着任したのですが、会う人に次のキャリアについて聞かれるたび、どこかモヤモヤした気持ちになっていました。「メダリストなんだからテレビに出れば」「もっと前に出る仕事をすれば」など、今思えば相手の言葉から「メダリストにふさわしいキャリア」を相手がどう思っているかどうかを嗅ぎ取り、キャリアに優劣があるかのように受け取っていたのだと思います。
また、常に自分が不当に評価されているような怒りを感じ、落ち込み、そして被害妄想に凝り固まっていました。「メダルを獲った自分」に恥じないよう、いつも歯を食いしばっているような20代でしたね。

田中ウルヴェ 京氏

傍から見れば順風満帆なキャリアのように見えますが、満足できなかったんですね。

田中ウルヴェ 京氏そうですね…、そもそも引退後すぐの自分は、自分で悩み抜いて選んだ、というキャリア選択をしてなかったですからね。でも、モヤモヤしていることは事実だったから、まずネガティブな感情を、次のステップに進むためのエネルギーとして転化することに集中しました。
24歳の時に日本オリンピック委員会の在外コーチ研修制度を利用し、アメリカに行きました。そこで興味を持ち始めたスポーツ心理学を学ぶために、米国のセントメリーズカレッジ大学院に入りました。
この時はまだ自分のキャリアに対して「いつか見返してやる!」という負のエネルギーが強かったですね。米国留学で専門知識を身につければ、「メダリストの田中」の次のキャリアとして認めてもらえると考えていたのです。
そこで4年半を過ごして修士号を取得し、アトランタオリンピックの代表コーチを務め、意気揚々と自分のキャリアをアピールするわけですが、世間的には無視され、軽んじられたように感じ、また怒りを爆発させていました(笑)。

まだまだトンネルは続いたのですね。そこからどうやって抜け出してきたのですか。

田中ウルヴェ 京氏ネガティブな感情はずっと引きずっていましたね。でも、よく考えたら、できること、がんばれることを「自分に」証明したかっただけなのだと気づきました。
折しも夫がMBA取得のために再び渡米することになり、代表チームのコーチは辞して、改めて何をしたいのか、どうありたいのか、考えるようになりました。そして、米国アーゴジー心理学専門大学院でガードナー博士に師事し、その後のキャリアのベースとなった認知行動療法やキャリアトランジションなどの研究領域に出会うことになります。まさに私自身も経験した「メダル後のキャリア構築」の苦しみを、多くのアスリートが抱える問題として捉え直すことができたのです。
とはいえ、日本では全く相手にされませんでした。メダルを獲ったのは10年以上も前、コーチの経験があるとはいえ、ドメインとしたかったキャリアトランジションなどは大学院で勉強しただけ。でも、逆にブランクができたことで当時のビジネスパートナーに「できることからやろう」と言われて、やりたいこと、できることを積み重ねていきました。
その時にようやく長いトンネルを抜けたのだと思います。更にそこから約10年以上が経ちましたが、地道な積み重ねが実態のある自信につながり、周囲に認められたい!というエネルギーが、外への出力ではなく、自分の内側に向けるエネルギーに変わり始めて、いつしか周囲の評価も変わってきたように思います。

田中ウルヴェ 京氏

そうした田中さんの自分に対する客観的な見方や達観力は、過酷な選手時代を経験したからこそ得られたものなのでしょうか。

田中ウルヴェ 京氏それならどんなにいいでしょうね(笑)。過酷な環境に身を置けば自然に精神的な強靭さが身につくというのは、「英語圏にいけば自然と英語が話せるようになる」というのと似ています。
漫然と過ごすだけでは何も変わらない。辛く苦しいことがあった時、自分の中の砂粒のような思いや感情を拾い集めて必死に固め、何らかの刺激にまた砕け散りながらも、次の時には処し方として学んでいく。その積み重ねが人を強くするのだと思います。

とはいえ、私がメンタルトレーニングやコーピングを学ぶようになったのは、選手時代からキャリアの転換期に心理的な負担を抱えて苦しんだことがきっかけ。
そして、多くのアスリートにメンタルトレーニングを行なっていますが、置かれている状況が苛酷さを極める中で彼らの葛藤を間近で感じて思うことは、人間にとって、どれだけストレスというものが大切であるかということ。辛さや怒りや悲しみといった感情をともなう人生の逆境と、それを乗り越えた経験の積み重ねによる「幸福感」は、その人の唯一無二の輝きを作ることを、実感しています。

【3】自分を知り、自分の意見を表明し、自分の人生を選ぶ自由

田中ウルヴェ 京氏

アスリートほどではないにせよ、営業パーソン、営業マネジャーもタフな状況に置かれることが多く、自分がやりたいことが見えなくなるという人も少なくありません。田中さんはどうやって「自分が本当にやりたいこと」を見出していったのでしょうか。

田中ウルヴェ 京氏「セルフアウェアネス(自覚、自己認識)」という考え方を取り込んだことが1つの鍵になったと思います。私自身がその存在を知ったのは、セントメリーズカレッジ大学院の体育学の2年目で受けた「コーチングフィロソフィー」の授業でした。
担当のジョンソン教授が、ある授業の最後で「The greatest thing in your life is being who you are.(あなたの人生の中で最も大切なことは、あなた自身でいることだ)」とホワイトボードに書かれたのです。それまで私のベクトルは外を向いており、「私はどうあるべき?」と外からの答えを模索していました。
しかし、その言葉に従って「私は誰でしょう」と問いかけるようにしました。1日に何回も「こう思った私は誰でしょう」「こんなことにいらついた私は誰でしょう」と、まるでパラノイアですね(笑)。
すると、「この人にいらついている自分をいらつかせたのは私だ」というように、自分が感じることのすべてが自分に紐付いていることに気がつきました。
そしてちょうどその頃、現在の夫と知り合い、フランス人の彼に「そんなの当然じゃないか」と言われて目からウロコが落ちましたね。フランスでは文化的にも「自分とは誰か」の問いを子どもの頃からし続けるようです。そうやって公私で「セルフアウェアネス」のトレーニングを続けたわけです。

「セルフアウェアネス」を体得できると、具体的にはどのような変化が訪れるのですか。

田中ウルヴェ 京氏日本人は世の中のカテゴライズに従順で、カテゴライズされていることに気づきにくい傾向があります。結果、期待された振る舞いを無意識のうちに自らに課してしまい、本来の自分との齟齬が生じることで、ストレスを増大させてしまったりします。
しかし、「セルフアウェアネス」によって、自分の感情を言語化して客観視すること、「自分とは」と思考を内側に向ける時間を持つことの2つを習慣化することで、本来の自分が求めるものに気づき、それに則って行動するきっかけが得られるでしょう。

実は私も20代の頃は典型的な日本人で「Why?」と聞かれたら「Why not?(ダメなの?)」、「京は?」と聞かれたら、「普通はどうするの?」と聞き返していました。「田中京はこうあるべき」という外から求められるセルフイメージに取り憑かれ、それでも抑えきれないマグマのように吹き出す自分に焼かれ、多くの人を巻き添えにしてきたと思います。
でも、「セルフアウェアネス」によって、「自分を知り、自分の意見として表明し、自分の人生を選ぶ自由」を手に入れたことで、マグマをコントロールすることを覚え、他者に対しても寛容になったように感じています。

【4】自信のなさを肯定し、毎日を特別な日として生きる

自分を知り、自分の好きなように生きる。それはすばらしいことですが、一方で自立が基本となり、自信のなさを気にする人も少なくありません。

田中ウルヴェ 京氏まず大前提として「自信がないことは素晴らしいこと」であるのは間違いありません。ちょっとだけ自信がなくドキマギしている状態は、周囲の環境がその人にとって「ちょっと背伸び」している状態。恵まれているという表現はしませんが、少しずつ右肩上がりで成長できる環境である可能性があります。一方、慣れ親しんだ環境は自信満々でいられるものの、ともすると飽きてしまう可能性もあるでしょう。
しかしながら環境は外から与えられるもので、多くの場合不可抗力です。環境が恵まれている、恵まれていないという「どうしようもないこと」に左右されるのではなく、日々の自分の浮き沈みにこそ注力することが大切だと思います。

田中ウルヴェ 京氏

未来への不安を感じる人も多いようです。

田中ウルヴェ 京氏これも全く同じです。将来の理想など不明確なものに怯える必要はありません。現在の自分に集中し、その機微が分かるようになることが大切です。例えば「私は暑いとやる気がなくなる」とか、「今日の自分」のコンディションが分かれば、最適な対応策を見出すことができます。
着実に常に訪れている「小さい未来」にこそ目を向けるべきです。「大きい未来」にフォーカスすると、どうしても一般論や常識などにとらわれがち。それよりも「その日最高の自分」を積み重ねていくことが、自分が望む未来を1つひとつ作っていくことになります。対応策を見出すためには、的確な自分観察が必要ですし、それを認識するセルフトークが有効です。
例えば、強いアスリートはそこが上手で「一生懸命頑張る」みたいな漠然としたものではなく、「今日は足が出ないから、ロングショットで攻める」というように、観察と解決策を客観視して言葉にすることが得意です。

そうした人は自分が自分のコーチになっているようなもの。プレゼンやクロージングなど、ここぞという時にも力を発揮できそうですね。

田中ウルヴェ 京氏そうですね。そして重要なのは、本番と同じ力で日常的に行うことです。特別な時に発揮できる力は、いつもの70%、80%にとどまります。けっして100%以上は出ません。よく「本番のつもりで練習しよう」と言われますが、私は逆だと思っています。つまり「本番を普通の日にすること」。人は、どうしても特別な日に特別なことをしたくなるもの。その方がかっこいいし、達成感を感じられますからね。何よりドラマチックでしょう。
でも、いつもできていないことが特別な日にできるはずがありません。成功する時は「あれ?」と拍子抜けするくらい簡単に結果がでるものです。本番が大切であればあるほど、日常を一生懸命に取り組み、反省するべきところはする。更に本番が想定内にとどまるような準備をする、もしくは想定外が来ても対応できるようにする。これを頭でやろうとすると難しいので、メンタルのトレーニングが必要というわけです。

田中ウルヴェ 京氏

ガンジーは”Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.”といいました。「明日死ぬかのように生きろ。永久に生きるつもりで学べ」。事実そうですよね。私達の人生は、今日で終わりかもしれないし、でもそう思ったら、何にもやる気がなくなっちゃう。
でも、その事実の上で、永遠に生きると想定してしまえば、人類のために、という壮大な視点ができる。多視点で自分の「今日生きる理由」が見つかります。これは私の10年前からの座右の銘。皆さんも自分にピンとくる言葉を見つけてみて下さい。

だんだんメンタルトレーニングを受けている気分になってきました(笑)。ありがとうございました。

田中ウルヴェ 京 著書

『99%の人がしていないたった1%のメンタルのコツ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
テクノロジーや職場環境の変化などに対応し、最高のパフォーマンスを発揮するために、実際のビジネスシーンや生活の中で実践できる「メンタルのコツ」を68項目に渡って紹介。スポーツ心理学などエビデンスに基づいたメンタルトレーニングの理論を踏まえつつ、現代のビジネスパーソンに求められるメンタル管理を実践の中で自然と身につけられる。日本アイ・ビー・エムで企業の組織行動変革や人材育成などに携わる河野英太郎氏との共著。

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文:伊藤 真美  写真:山本 中

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