今井 桂氏インタビュー出会いと別れ、土壇場、正念場、修羅場… 人生の難局を乗り越え続けた男の処世術

アパレルメーカーからキャリアをスタートさせ、IT企業創業を経て、複数の店舗を展開するレストランオーナー、そして現在はフリーのレストランプロデューサーとして活躍する今井 桂氏。土壇場、正念場、修羅場…波乱万丈な出来事を数多く経験しながらも、日々前向きに人生を歩む今井氏が語る、持つべき人生のスタンスや考え方をお聞きしました。

出会いと別れ、土壇場、正念場、修羅場…人生の難局を乗り越え続けた男の処世術

【1】働きながら芸術大を目指して7年間浪人、29歳で大学卒業

最初は映画を撮ることを目指していたそうですが、どういうことがきっかけだったのでしょうか?

私自身は草津温泉のある群馬県吾妻郡の出身で、高校の頃に地元の教育長もされていた名士の家によく出入りさせていただいていました。その家に行くと常に新しい刺激を得ることができ、世界にはいろんな物があることに感銘を受けたのです。その過程で、漠然と映画を撮りたいという思いが強くなりました。映画を撮るために芸術系の学部のある大学に行こうと思い立ったものの、いかんせん家が裕福ではなかった。そこで、入学金や授業料を事前に稼ぐべく、働きながら受験をすることになったのです。結果として一般の私大に入学することになるのですが、それが高校卒業してから7年後のことでした。

7年とは時間がかかりましたね!大学に入学したのが25歳ということでしょうか?

お金をためて受験することを繰り返す形でしたので、毎年受験することができず、7年もの歳月が必要だったというのが実際のところです。大学に入学した後は、家庭教師など割のいいアルバイトで生活をつないでいきました。しかし、就職活動の際には、年齢のせいか、面接で私だけ裏口から帰されてしまう、という経験もしましたが、それでも2社から内定をいただくことができました。最終的にはアメリカに法人を持つ地方のアパレルメーカーに就職し、それがキャリアの出発点となりました。

今井桂氏

現在は飲食業界のお仕事ですが、当初はアパレル業界に身を置かれていたのですね。

実は大学時代も経済的に厳しい状況が続いていたため、いつもお腹をすかせていました。そんな折、面接でご飯を食べさせてくれるという企業の社長に会いに行ったところ、その場で内定をもらうことができたというのが、アパレル業界に入った経緯です。
そんな縁で入社したのですが、2年頑張ればアメリカに行けると言われ、アメリカに憧れがあった私には夢の入り口に感じられ、とにかく頑張りました。しかし、営業担当だった私の成績が良かったため、逆にアメリカへの赴任が延びていってしまったのです。そこで、新天地を求めて中国で仕事ができるアパレル企業に転職。その後フリーランスになるなど、職を転々とすることになりました。

【2】偶然入った店から人生は動き出す!飲食業界に参画したわけ

今井桂氏

フリーランスはアパレルに関連したお仕事だったのでしょうか?

アパレルの企画などを手掛ける仕事でフリーランスになりました。ただ、その後は不思議な出会いがきっかけで、IT企業を創業することになります。
まだ会社員をやっていたころ、ふらっと入ったパチンコ店で大当たりしたことがあったのですが、隣に座っていた方も同様にその日はフィーバー。閉店まで出し続けたご縁で、一緒に食事をしたのですが、その方が偶然にも同じマンションに住んでいる方だったのです。その方は、韓国のご出身でしたが、その偶然の出会いがきっかけで家族同然の付き合いをするようになりました。実はその方は韓国では学生運動のリーダーだった方で、空港で握手攻めにあうほどの有名な人物であることを、付き合い始めてから2~3年経って知りました。日本に一時的に来られていた時に、偶然私とパチンコ店で遭遇した、というわけです。

そんな劇的な出会いがあるものなんですね。

人生分からないものです(笑)。フリーランスになった後、以前から目をつけていたIT業界に参入し、会社を創業しました。その際に出資してくれたのが、あの韓国人の彼でした。
そこでは、以前参加した異業種交流会で知り合った方を副社長にし、自然言語解析や仮想空間でのコミュニティを中心としたビジネスを始めました。このビジネスは順調だったのですが、私が体調を壊して入院した際に、副社長に謀反を起こされ、社内や出資者の方々に対してネガティブキャンペーンを展開されてしまい、結果として私は会社を追われることになってしまうのです。私の名誉のため、また、韓国の方から出資を受けた額だけでも取り戻そうと裁判を起こし、90%以上を取り戻すことができました。しかし、当時親しくしていた出資者の方々に誤解を受けたことは今でも残念でなりません。

今井桂氏

自分が創業した会社を追われ

そんなことがあってIT企業の社長から急に無職になり、蓄えのなかった私は途方に暮れながらパチンコで食いつないでいたのですが、そんな折、以前好きで通っていたフランス料理店で働くギャルソンから、独立したいという相談を受けるのです。ただ、彼には十分な開業資金がなかったため、以前裁判の時にお世話になった弁護士に相談したところ、複数人から小口の出資を募る匿名組合出資という仕組みを紹介されました。もちろん、飲食業で経験のない私に出資してくれる奇特な方はそう簡単には現れない。悩んでいる時に助けてくれたのが、パチンコ店で知り合った方々です。なんと皆さんそれぞれ一口10万円の小口出資をしてくれて、彼が準備し集めたお金と合わせて何とか開業にこぎつけることができたのです。

パチンコには何か縁があるんですかね(笑)。

それは私にも分からないんですが(笑)。集まった資金を元手にフランス料理店をギャルソンと共同出資の形でオープンさせました。偶然に東京レストランガイドというWebサイトで、ある時東京1位のフランス料理店として口コミが集まり、それをきっかけに今度は優秀な人材が集まり、一気に5店舗を作ることになりました。過剰投資の心配もありましたが、そのうち2店舗がミシュランで星を獲得したことが事業の上昇のきっかけになります。その後もコンセプトの違うお店を作りこのグループは8店舗になりました。私自身は、現在はそのグループを離れ、レストランプロデューサーという肩書で、コンサルティングを中心にビジネスを行っています。

【3】業界共通の課題に応えたい! 自身で手掛ける「無人化レストラン」構想

飲食業では共同経営者でいらっしゃいまし

今はありますね。これまでの経験からも、自分がたった1人ででもやりたいと思うものが強烈にあれば、自ら主体的に動き、そこに1人ひとりが参画してもらう形にするべきだと思っています。孤独だからとか経済的な理由でビジョンの違う誰かと呉越同舟で事業を始めてしまうと、おそらく自分が描くものとは途中で違う形になってしまう。レストランが持てれば満足な方もいるでしょうし、違う目的の人もいる。出発点が違ったまま始めてしまった場合、事業が上手くいき始めると方向性が変わってきて、いずれは袂を分かつことになる。そんな経験もあって、これからは自分が理想に思う店を自分でやりたいと思っています。ちなみに今考えているのは無人化されたレストランですね。

今井桂氏

無人化されたレストラン?どういうことでしょう。

以前から、IT関連の仲間とともにオーダーシステムやDB化された顧客管理システムと予約システムなどを連動させる仕組みを作っています。今ではレシピ解析した上で食材を自動発注する仕組みも構築していて、例えばトマトが20個使われた場合は、天気や季節、トレンドなども加味した上で翌日のトマトが17個自動発注される、といった仕組みも実現できています。また、店舗内ではロボットアームで料理を作ることがすでにできますし、注文を取るオーダーロボットもすでに存在しているため、現実的に無人化レストランは可能だと考えています。ただし、いきなりすべてをロボットに任せるのはユーザー目線から現実的ではありませんので、スタートアップは調理サイドに1名、外にはコンシェルジュが1名ほどの少人数で運営できるお店を作りたいと考えています。

なぜこの着想に至ったのでしょうか。

皆さんが想像している以上に、飲食店で働く人が集まらなくなってきているからです。このままでは、ミシュランを獲得するような世界観のレストランと、ファーストフードやファミリーレストランをはじめとする大型チェーン店の間にある飲食店は空洞化してしまいます。既にアメリカでも無人のコンビニなどが出始めて話題になっていますが、もし日本で無人化に近いレストランをやるのであれば、ITにソフト的なキャップをかぶせることが必要ではないかと考えています。例えば、アニメのキャラクターがオーダーを聞いてくれるようなイメージですが、まさに日本らしい無人化のお店を作りたいと考えています。いつの日か無人化レストランのロボットが作る料理がミシュランの星を獲る時代がくるかもしれませんよ!

【4】土壇場、正念場、修羅場‥人生の難局を乗り切った先に見えたこと

今井桂氏

波乱万丈な人生を歩まれてきた印象ですが、ご自身を支えてきたものは何だとお考えですか。

最初に7年間浪人していた時、仲間内では「今井は終わった」と思われているという認識がありました。7年経てば、同級生はすでに就職しています。私が高校に調査票を取りに行った帰り道、私が乗っている50CCバイクのカブと、県庁に就職した同級生の車・ソアラがすれ違うわけです。この差は一体何なんだと。悔しさというよりも、このままではただの“あんぽんたん”で終わってしまうという危機感でしょうか。おそらく、この時に自分の中に何か芽生えたものがあったのだと思っています。
大学入学が決まった時、たった1人だけ連絡を取り続けてくれた友達がいて、彼と彼の奥さんが贈ってくれたネクタイを今でも大切にしています。「今井君を見ると、転がりながらオリンピックで入賞を果たしたスピードスケートの橋本聖子選手を思い出す」と言うんです。転がりながらもゴールを切った姿と私の七転び八起きの人生が重なって見えるのかもしれませんね。

この記事を読んだ営業パーソンである読者にアドバイスをいただけますか。

人生にはいろんなことが起こりますし、不幸が重なることだってあるはずです。でも、私自身はそれが人生だと思っています。すべてが同時には解決できなくても、起こったことに対してプライオリティを決めた上で1つずつ対処していけば、絶望的に見えても解決できない問題はありません。必ず、活路は見い出せると信じていますし、問題を解決することが自信にもつながります。そして、同じ問題が次に起こった時には、ものすごいノウハウを持っている状態になるわけです。土壇場、正念場、修羅場、いろいろなことが人生には起こりますが、そんなことが日常的に起こり得ると思っていれば、あたふたすることもありません。

また、チームの運営という観点では、1人の能力に依存したものにしないことが大切です。つまり、みんなで考えながら進められる環境作りを意識して欲しい。例えば、普通のレストランでは個人の突出した能力はプラスαくらいで、それをプラスの要素として考え過ぎない方がいいんです。これは営業でチームを作る時も当てはまると思います。極めてタレント性の高い人間がいて売上が保たれているのはとてもリスキーなことで、いずれ「俺がいるから成り立っている」という状態になり、結果としてチームワークは崩れてしまいます。

今井桂氏

数々の難局を乗り切ってきた今井さんの座右の銘を教えて下さい。

ルターの「明日地球が滅びようとも、私は今日リンゴの木を植える」や吉田松陰の辞世の句「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置まし大和魂」などが、好きな言葉です。ただ、この年になると自分の生きた言葉として語りたいと思うのですが、未だしっくりくる言葉が思いつかないのというのが正直なところです。
 麻雀の役に「国士無双」というものがあります。ほかの役と違い自ら決めて狙っていかないと作り上げることができないもので、ビジネスによく似ていると思っています。常に狙うコンセプトをもって行動するという意味で“人生は国士無双だ”ということでいかがでしょうか(笑)。

文:酒井洋和  写真:編集部

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この記事の情報は公開時点のものです。

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